宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

雲の切れ間の星々に

 

3行くらいの文章を、ぽつぽつと書いてはバックスペースを長押しする。

消し後すら残らないまっさらな画面を見つめ、ただ液晶の光に顔を照らされているだけの時間を過ごすのは、随分と久しぶりのことだった。

 

はた目から見ればそんな感じ。

いっぽう、僕の脳内では右へ左への大混乱。豪雨、稲妻、阿鼻叫喚。

 

しばらくするとやんごとなき方が現れて「さぁ、一から再出発だ。みんなの心が一つになるような大仏を作ろう」と、僕を誘う。

すがる思いでそのスローガンに応じる僕は、すかさず脳内を巡り巡って、この一大公共事業に必要な資材を搔き集める。

 

ある程度の材料がそろうと、まっさらな大地にそれらを組み立て始める。

しかしこの突貫工事、不安で腐った材木と打算的な欲望なんかの不純物が混ざった銅の寄せ集め。それに気を留めず、生半可の知識でこさえた設計図の元、ぽつぽつと工事に取り掛かるや否や、バベルの塔よろしく、どこからか「こりゃだめだ」の声とともに神の人差し指によって落雷、爆発、大炎上!そしてまた阿鼻叫喚の地獄絵図。

 

こんなことは、バンドの曲に1曲も歌詞をつけられなかったり、大学の卒業論文や就職活動のエントリーシートがなかなか書けなかったり、地元のウェブメディアでひとつの取材記事を2日かかって書いていた頃にはお馴染みのことだった。

 

そうして徐々に文章に向き合うことを恐れるようになり、結局時間切れで約束を反故にしては、それを期待して待っていてくれた人との関係を悪くしてばかりいた。特に悔やまれるのは、たった一人の、ある文通相手への手紙だ。

 

まぁ、そんな経験から、僕は文章を書くことをしばらく避けていた。ツイッターやインスタグラムも、僕が思う「みんなの許容範囲」からはみ出してしまった投稿を何度消したことだろう。

つまり、他人から、生の僕自身を評価されるという宿命を引き受けられないでいたのだ。

 

でも、このブログはそうではなかった。パソコンに向かうと、ひたすらに書けた。日々の思考や経験から重要だと思う要素を抜き出し、そのまま塗り付けるように白い画面を埋めていくことができた。

「大人は僕ら子どものことをすべて理解できる」と思っていた小学生の頃、「僕はこれが好きなんだ!」と、思うがままに自由に作文に書き連ねていたあの幸せな瞬間にようやく重なっていくように、このブログは僕を少しずつ開放してくれた。ただ、その鍵は小学生当時とは違い、誰に向けてでもなく自分自身に向けて書くということだった。

 

先日寄稿させてもらったエッセイは、ちょうどそうやって、「内容はまだまだでも、とりあえず書けるようになった」という自信を持ち始めた途端に依頼を受けた。

8月26日、初対面だった『Flops & Lines』というフリーペーパーの発起人である人物とzineについての話しをしていた流れで、このブログを読んでもらったのだ。

 

期間はだいたい1週間、分量もテーマも自由。とのことだった。僕はふた晩あれば満足したものが書けると思っていた。

 

しかしそう簡単な話ではなかった。仕事から帰り、さて書こうと思った瞬間にパソコンの画面から突然、かつて僕を苦しめた懐かしのメデューサが出てきて、さっさと僕を石にしてしまった。

そこから何時間も書いては消しを繰り返し、日の出を迎えては、情けない思いと焦りを抱えて眠った。

 

書けるまでに1週間と2日を要した。それまでは、毎朝出勤前に保存できる文章はなにひとつなかった。何度か諦めてしまおうと思った。

 

そんな時に相談に乗ってくれた友人たちは僕を受け入れてくれて、夏の目を焼く太陽ではなく、まるで雲の切れ間に見える星々のように、それとなく僕の顔を上へ向けてくれた。

そして、そのエッセイは、自分に向けたブログの文体を元に、僕を救ってくれた友人たちへ(ちょっとだけ)感謝の気持ちも込め、不格好だけども手作りで、僕自身が持ち歩くための、手のひらサイズの小さな木彫りの仏像を作ったつもりである。

 

https://flopsandlines.com/kohei_tsunematsu/