宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

センチメンタル・センテンス

 

草むらの羽虫が背負う、その左右の羽を、押し当てて擦り込むことで空気を震わせ、リンとかシャンとかミンとか音を発するように、僕たち人間も、肺から吐く息で喉の中の声帯を震わせて、喋る、喋る。

 

僕も時おり、羽虫どもに負けじと、パソコンを前に独り座って、うえっぺっぺ等と意味のないことを呟くことがあるけれど、そういう場合は特に何も起こらない。万が一、通りすがりの女の子がそのうえっぺっぺを聞いたとして、ぴょんぴょんと寄ってきて股を開くなんてことは到底考えられない。

 

そんなことはどうでもいいとして、僕は、電車や喫茶店なんかで、他人同士が何か下らないことについてベラベラ喋っている様子を眺めるのが好きだ。もし僕が透明人間で、見ていることを絶対に相手に悟られないなら、斜め向こうに座るおばさんの、ころころ変わる表情を、特徴的な指先の癖を、どこかで見たような装飾品をいつまでも見つめ続けることだろう。そしてその使い古された声帯から発せられるきめ細かい振動の波を、僕は解読しようとするだろう。

 

今日の日付は10月17日。2018年の、涼しい水曜日の夜だ。満足に絵を書けるようになりたいなと思いついたところだ。自分自身の内面をなんとなく表出させたキャラクターを作ることができれば、アイデンティティの確立にも影響して、僕の目指す、毅然とした人間というものに近づけるかもしれない。手書き感満載の、気の抜けた感じがいいなぁ。うえっぺっぺ。

 

そんな事を書いているうちに、John MayerのPaper Dollという曲が流れてきた。この曲は、僕が友人と2人でアメリカをレンタカーで放浪していた時、車内のステレオで何日もずっとリピート再生し続けていたアルバムに収録されていた曲のひとつだ。このアーティストの持つ特徴的な柔らかいサウンドに触れた瞬間、車窓から見える果てのない車道や遠大な山々、前を走るばかでかいピックアップトラック、口の中に残る朝食の安物ベーグルの、硬くざらついた感触、初めて訪れたのに不思議な懐かしさに包まれていたことなんかが色彩を伴って浮き上がってきて、僕の感覚を再び同じような強さで刺激した。きっとこの体験は、彼の曲をアメリカで初めてちゃんと聞いたということも関係があるだろう。日本での日常の中で改めて聞けば聞くほど、徐々に上書きされて、あれほど刷り込まれていた、あの大陸で強く結びついた五感同士の紐付けを、確実に解いてゆくことだろう。だからもう、滅多なことでは聞けないなと思う。

 

煙草を吸うからか、何かのアレルギーか、蓄膿症からか、随分前から嗅覚はかなり衰えている。なので、匂いによる記憶の喚起はあまりない。昔の恋人の服のにおいなんかを言い表せないのはもちろんのこと、もし同じ匂いを嗅いだとして、果たして思い出すことができるだろうか。うえっぺっぺぺぺぺ。