師が欲しい。
世界の認識やそのすべてを、僕に教えてほしい。
愚かな僕一人では何も気づけない。そこにある何かを発見できない。鏡を見ても、自分自身の本当の表情を知ることすらできない。
作品や、本、インタビューなどから、世界の認識や自分自身の心を知る方法を学ぶことはできる。
現に僕は狂ったようにそれを求めている。
しかしそれらは更なる疑問に対する答えも持たぬし、僕の理解度や実践の正誤の確認は取れない。そもそもの読み取り方さえも僕はおぼつかない。
何としてでも生きた師に、できれば多く、会う必要がある。そして、教えを与えてもよいと思ってもらえるだけの人間性や能力を僕は持たねばならない。
上京するまでの間、必死に準備を進める。
「学生の頃、もっと本気で勉強しておけば良かったよ」と、誰かの声。
そういう人は毎日仕事が忙しかったり、家族が居たりするのだろう。他人事のように簡単に言う。そういう人に本を貸してもまず読まない。ページを開きさえしない。まぁそれはそれでいい。
確かに、知恵は金のように、即時に役立つものではありえない。困っている他人を助けたいとき、まとまった金を贈ったほうが、よっぽど救いになるだろう。それに、SNSの高評価のように、投稿から10分以内で自尊心が埋まるなんてことはない。
だからこそ、皆が皆好き好んで通る道ではない。
獣道の先を行く得体のしれない何かに会いに行かねばならない。うかうかしていると彼らはひとりひとり死んでいってしまう。
津本陽も死に、葉室麟も死んだ。会いたい歴史小説家なんてもうほとんどこの世にいない。ポール・オースターやジョン・ライドンだって、太った老人になってしまって、明らかに晩年のひと時を過ごしているように見える。
限られた時間の中で、学び取れる収穫物の質や、量の効率を高め、僕の成長の試金石となる人間が、欲しい。
東京にはきっといくらでも居るだろう。どうにかして出会いたいと企んでいる。