宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

散文vol.y

春めいてきた。

陽射しは暖かさと透き通った光を地一面に満たし、風は強く冬の残り香を押し流す。

この清々しさ、溢れんばかりの希望と安らぎに包まれるのは、郷里の山口でも、以前住んでいた福岡でも、ここ東京でも変わらない。

日本人が会話をするとき、まず気候の話から入るという。なぜだろう。穿った僕の考えでは、相手が同じ感覚を共有するかどうか、形式だけでも協調性を持ち合わせているのかどうか、いわゆる「普通の」人間かどうか確かめているんだろうと思う。リードの先の飼い犬が互いに尻を嗅ぎ合うのと同じだ。僕たちは臆病なのだ。

特別に書くことがないから、僕もまた気候の話を書き出しとした。無難であり、無害。僕の分泌物はすんなりさっぱり無味無臭、お口に入れても大丈夫。

怒っていること、腹の立つ存在、そういうものも確かにある。いらだちは個人的なテーマそのものだし、強いエネルギーの源だ。なおかつ僕は狭量で気が短い。

そして同時に、酷く軟弱で臆病でもある。喉の裂けんばかりに吠える気概もなければ、爪を剥き出しにし牙を立てて傷つける覚悟も持ち合わせてはいない。

僕の性根は甘やかされて育ってきた哀れな家犬だ。いざ東京へ飛び込んだというのに、野を駆け己の縄張りを張ることもなく、雨風を凌げる廃屋の隅で仲間のおこぼれに預かりながら暮らしている。

親切で明朗な、心根の正直な同居人たち。彼らはおべっか使って舐め合うのではなく、いい餌場や狩りの成果を話し合ったり、その技を互いに盗み合ったりしている。

僕はいまだに隅っこの方でひとり、自分の尻尾をぐるぐると追いかけているだけだ。

とはいえ、なんとか生きて冬をやり過ごした。荒川下流西岸にある廃工場のシェアハウスで、優しい春をまた迎えられたのである。

「ぬるい地獄」と今日、この場所で誰かが言った。至言。人生はいつでもぬるい地獄以外の何物でもない。

美味い飯を食ったり、ひと時の快楽で脳を麻痺させたり、春の陽気に心地よい眠気を掻き立てられたところで、その運命は変わらない。生きている限り、常に無間地獄の一歩手前。月の宮殿を夢見たところで行く方法はない。行けたところで結局、そこに地獄の囚人である人間が定住できる場所ではないのである。

この世がぬるい地獄であることを受け容れながら、いずれ自らの業の猛火に焼かれ、功績も偉業も矜持も誇りも愛も喜びも努力も偶然の産物もかけがえのない記憶さえも、この身体と共に消えてなくなり、結局は一抹の灰燼に帰ってゆくことを知りながら、僕は自分の尻尾を掴み取ろうと躍起になって回っている。