宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

我が投稿

ここ東京では、健康な若者が寄る辺なくふらふらしていれば、どこからともなく様々な誘いの声が掛かる。早い話、健康で若ければいくらバカだろうと、いかようにも利用価値があるのだ。

最近、金もないのに仕事もせず、シェアハウスの中を幽霊のようにふらついているだけの僕にもいくつか誘い話は飛び込んでくる。

こちらとしても奨学金や家賃や税金や食費だけでもなんとか払い続けられるように、現状を脱する必要があるので、言われるがままにバイトを2つ決めた。

思えば、これまで僕がしてきた仕事は、そのほとんどが誘われたもので、自分から何かになれたことはあまりない。誘われなければバイトすらしなかった。

押し着せられるように制服や作業服を身に着けたその瞬間から、心のうちではいつ辞めようかと考えてばかりだった。いつも手抜きで興味なく、心ここにあらずといった体たらく。

また同じ流れで同じことが始まった。

早いところ自分の本当の仕事に就かなければ、これといった能力も持てず、人生そのものが薄汚れた後悔の色に染まってしまいそうだ。

僕の望みは、この世で毅然として生きてゆくことだ。

だから、人々から離れ、マサチューセッツの森の湖畔に住み、資本主義社会から離脱し、自給自足の生活を行うことでその自由を確立したH.Dソローや、パリのど真ん中に住みながら孤独を見出し得たサルトルに、僕は希望と救いを感じるのである。彼らが世界から勝ち取ったその強烈な個は、後世を生きる僕の眼にも輝いて見える。

僕は最近、登山をするようになった。長期間、山中でソロキャンプをしてみようと考えていて、その前準備というか、山に入る経験を積んでおきたかったからだ。

ただ、それなら、山小屋でアルバイトをするのもいいかもしれないと思った。深い自然の内側で暮らしながら、必要な知識や情報が生のまま手に入る。

そういった考えは、誰かにとっては変なことであり、下らないことであり、勿体無いことであり、良いと思うよ、なことである。興味などないのだ。そんなもんである。

だからこそ僕は自らの心が呼びかける声に、もっとまじめに耳を貸してやる必要がある。

いずれ僕の中心にある玉座に再び鎮座し、僕が他者にへつらい目の色を窺い選択を妥協したりせぬよう律し戒め、我ここに在りと世界に堂々と号令をかけるであろうこの心に。