宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

僕はこう生きる

平成5年に、僕は産まれた。

1993年、僕は母の胎内より出た。

いつしか立ち上がり、言葉を発するようになり、そこから僕はここまで生きて来た。

それまでの25年間と数か月の間、世界では沢山の命が産まれ、費やされていった。

蟻や羽虫を手や足で潰し、路上に転がる犬や狸の死体を横目に通り過ぎ、牛や豚や鳥や魚の死肉を好んで食らい、僕はここまで歩いて来た。

人の死、知った人の死に僕は涙を流した。残された者のことを想い僕は涙を流した。

朝起きると、狭いゲージの中に横たわり、両の手足を突っ張って、硬直し、目をひん剥いたまま冷たくなって死んでいた飼い犬の死に僕は涙を流した。もっと彼に喜びを与えてやれたであろうと、僕は悔やんだ。汚れたブランケットと、その周囲を取り囲むゲージを僕は忘れないだろう。

誕生、誕生はどうだ。命が新たに創られ、死に向かって歩き始める旅の新たなる道連れが現出する、その始まりの歓びは。

姉は未婚で子供はない。僕も未婚で子供はない。親戚付き合いのある従兄妹もまた同じだ。中学校の女の友人が、就職先の同僚との子供を産んだ。これはとても嬉しかった。深く知った人がその身に孕んだ子の誕生に浮かれて幸福感に包まれている様子はとてもいい。自分がその命の育みに直接関わることもなく、健康の心配をしたり稼ぎの勘定をする必要がないからかもしれない。

人生は、どこまで行っても現実の地平の上でしかない。責任や孤独を感じるとき、この延々と続く地平からは逃れられないことを知ることになる。

ただ、つかの間、それを忘れることはできる。誰もがその方法を見出し、没頭し、いつしか依存するようになる。

一体全体、命の営みに意味はないのかも知れない。それでもなぜか、まだ生き続けたいと僕は願う。なぜか。きっと僕の命もまた、別の命の為の犠牲となる機会を待っているのかも知れない。

知りたい。その為ならば、この世界に居合わせた他の命に敬意を払いつつ、僕の犠牲である数々の命のことを意識し、僕は摂生し朗らかに生きねばならないと思った。