天気がよろしい。
実によろしい。
だからといって特に申し上げることはない。
~これだけ書いて放置、数時間が経つ~
本を読んでいるうちに、そろそろと夜になった。
イヤフォンを耳にはめて音楽を聴く。
外界の気配は遮断され、会いたい人たちのことを想う。
顔の側面にある穴から優しいリズムが流入してくる。
目に見えぬ圧力がやわらぎ、世界からふんわりと浮き上がってゆく感覚。
いま、僕が孤独だからなのか。いま、僕が孤独だからなのか。
くしゃみを一つ。鼻が痛んだ。
僕の中にある内臓さえ、僕が定義するところの僕のものではない。
豚の腸詰めのように、ただ一つの皮にまとまっているだけだ。
僕たち人は既製品。部品の欠損した役立たずは陽の目を見るな。通りへ立つな。
美しき、この地球上で最も高級で誇り高き商品たち。
地球を牧場に、他の命を牧草にして費やして、我々人は育ってゆく。育てられてゆく。
誰に?神に?どの神に?米粒の中に居る八体のうちのどれか?
朝起きて自分の身体にラベルを貼り、お出かけ先でSNSを使って広告を打つ。テーブルの上にはどうやって殺されたかも分からないが僕に食い破られた豚の死肉。
それはディストピアでもなんでもない。不自然だが、今となっては仕方のないことだ。
身体1つ分の居場所しか与えられていない養鶏場の鶏が例え知能を持っているとしても、目の前に投げ込まれた得体のしれない顆粒を食いながらその犠牲に対し感謝を示すだろうか?己さえも巨大な何かの犠牲に過ぎないのに。
人は優れた知能を持つ。己を商品として考えない幻術を使う。モノ扱いをされて怒る盲目なプライドさえ持ち合わせている。人が社会を作り、神話を語り、その枠に自らを押し込み、他の文明をも呑み込んでしまうより前の時代では、人は運命から解き放たれていて自由であったという幻想は真理だったかもしれない。
未来、宇宙の先には何があるか人に分かるだろうか。ただ退屈な夜の海か、ただ規模の大きな物理現象か。それとも僕の自我の恒星か。
次は何を読もうか。今度は誰と何をして心を和らげようか。
黒色矮星が遺したエネルギーに触れて僕はここまで書けた。
とっくに死んでる作家、カート・ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読み終わって