「…そうやって他人に期待するから病むし、腹が立って怒るし、悲しくなるんだって。だから私は絶対人に期待しないよ。そうするとすごく楽だから」
と彼女は言った。
福岡に帰るたびに一緒に酒を飲む相手であるTと居酒屋で喋っていると、毎回この話になる。
それは、僕らの間に共通した話題がそこまで多くないからとかそういう理由ではなく、彼女自身が常に己に強く言い聞かせているがゆえに、なにかの話のささくれから端を発してこの話になるのだろう。
彼女がその考えを口にするたびに僕の反応は異なっていたと思うが、以前どう答えたかは記憶していない。
今回はこう答えた。
「確かにその通りだと思う。正直言って、おこがましくも僕は他人に期待してしまう。ここまでやってくれるだろうとか、こういう言葉をかけてくれるだろうかとか、時間通りに来てくれるだろうとか、前言っていた約束を履行してくれるだろうとか。しかし、現実は必ずしもその通りにいかない。いかない時、Tの言う通り僕は多かれ少なかれ絶望を味わう。何故だ何故だと疑惑が生じる。責任の所在があやふやになる。そこで、自分が怒りや悲しみに身動きが取れなくなりそうになったらようやくその期待を諦めるようにしている」
彼女は「へぇ、それは器用だね」と答えた。
Tの言うように、本当に器用なのだろうか?もしかすると、僕に期待された相手は、そもそも勝手に期待されては困ると憤っているのかもしれない。期待が重たいとうんざりしているかもしれない。
だが、誰かに期待されて、その期待に応えることが好きな人もいる。
お互いに期待しあって、切磋琢磨する関係性もある。
ぼくは、一概に人間を諦められないのである。だから、未だに期待してしまう。
しかし、ぼくの他力本願な性格の肝はここにあるのかもしれない。
あわよくば目指すところまで他人に運んでもらおうとしている目論見が自ずと明らかになる。
僕だって他人からかけられた期待が望ましいものでないなかったり、自分の目的に関わらなかったり色々な理由で約束や期待を優先しなかったり無視してしまったりする。
ならばいっそ、ハナから誰にも期待せず、期待されない方が良いのかもしれない。しかし、それはあまりにも寂しいような、、、?
車内アナウンスが入った。バスはまもなく目的地へ到着する。思索は不充分で、終わることがない。