宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

タイトルがつかないほど背骨のない文章

一言に本を読むといっても、様々な読み方がある。

太宰治の「思ひ出」では、子供の頃に黙読することを習得していたためにいくら本を読んでも疲れなかったと書いてある。

それでは、かつての読書法は声に出して読み上げることが一般的であったのだろうか。

現代人の多くは、国語の授業で名指しされ立ち上がって文章を読み上げたり、子に読み聞かせたりした経験はあるだろうが、部屋で一人読書をする際に声を出して読むという習慣を持つ人は少ないであろう。

確かに明治維新以前などを考えると、寺子屋では論語素読を行なっていたし、寺院で経を読むというのも、黙読するスタイルを僕は知らない。

幕末、緒方洪庵適塾では塾生たちを二階の一室に詰めて、そこで共に寝泊まりして洋書を読んだり翻訳していたというが、これもまた音読なのだろうか?そうであるならば、さぞや賑やかな風景だろう。

今、僕は福沢諭吉の本を読んでいる。彼が適塾の塾生だった頃、日本は世紀を超えた鎖国制がようやく揺らいできた時代である。

その頃の洋書は入手困難な貴重なものであり、それもオランダ語で書かれた砲術書や医術書といった、用途のはっきりした高度な専門書しか手に入らないといった実情で、もちろん現在あるような対日辞書など存在しない。

彼らは同じ本を何度も何度も読んでいるうちにようやく大意が掴めるといった、非常に困難な読書体験を積んできた。

大変だっただろう、しかしそれはとても面白い経験であることに疑いの余地はない。

現代と異なり、国際的に知の共有がなされていなかった時代だからこそ、個人の知的好奇心から得られる知識を、大いに価値あるものとして社会が渇望していたのだ。

現代を生きる僕たちは、何のために勉強するの?一体計算が何の役に立つの?という疑問にぶつかることが多いし、大抵の人がそれに答えられない。学ぶ理由すら見つけられないこの時代で、学びを深めようとする人やそれを応援しようとする人は少ない。

大学に行って、僕は失望した。誰もが学ぶ理由など持たずにキャンパスを徘徊しているように思えた。

そこで僕もいつしか本を部屋の隅に追いやった。サッカーのゲームをして有り余る退屈をやり過ごし、歌詞もわからないまま洋楽を聞いて、食い物や色恋や服の話ばかりして日常を過ごした。

せめてもの救いのよすがとなったのは音楽やスポーツなどで物凄い実力や覚悟を持つ友人に巡り会えたことであろうか。哲学に導いてくれる教授も居た。何事にも中途半端で自身も実力もなく、周囲からの好意的な後押しがなければ一人で努力もできないような自分と、好きなものを研究し、触れ続け実力も評価も勝ち得ている彼らとの立ち位置の違いを痛いほど知った。

Sという友達の家でRと遊んだ時、Rは部屋に入るや否や、そこに立てかけてあったギターを手に取り、ときおり話に加わりながらもギターを延々と弾き続けていたことを僕は忘れない。

もちろんRは音楽サークルの中でいつだって際立って上手く、ステージ上でも滅茶苦茶にカッコいい演奏をした。凄味を感じた。

卒業してから後、僕は自分の好きなものは何か、戦うべき土俵はどこか、思い返した。

そうしてこうやって日々下らなくとも文章を書いている。

随分と遅れをとっているが、今の自分を乗り越えて目標に近づくために諦めず活動している。

ただ寝っ転がって活字に目を通すだけでなく、メモを取り、情報をまとめたりする読書法も必要であろう。

今はまだ荒削りな戯言しか書けないが、もっと面白い文章を書きたい。

僕が読者ならこう思う。まだまだこんな文章面白くない。下らない。

でももう、僕は恥ずかしがらない。