宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

インディペンデント・ドントフォーゲット

福沢諭吉が当時9歳と7歳の息子に宛てた「日々の教え」を一部抜粋する。

現代語に起こしたのは川村真二氏。()は僕が付け加えた。

 

    本を読んで初めのほうを忘れるのは、底のない桶にて水を汲むがごとし。汲むばかりで少しも水のたまることはない。だから一さん(長男のこと)も捨さん(次男のこと)も読んだところのおさらいをしないで初めのほうを忘れるときは、読むばかりの骨折りばかりで、腹の底に学問のたまることはない。

  (中略)子供でもいつまでも子供ではない。やがては成長して一人前の男となるものであれば、幼いときからなるたけ人の世話にならぬように。(中略)自分でできることは自分でするのがよい。これを西洋の言葉ではインディペンデント、すなわち独立という。独立とは独り立ちして他人の世話にならないことである。

  (中略)人は勇気がなくてはいけない。勇気とは強いことで、ものごとを恐れない気性である。何事であれ自分がこれだけはと思い込んだことは、いつまでもこれに打ち込み、苦しみを厭(いと)わず成し遂げよ。たとえば本を一度読んで覚えられなくても、これを捨ててはいけない。一度ならず二度でも10遍でも20遍でも覚えるまでは、勇気を奮いなおも強く努めるべきである。

  

今日、この件りを横浜へと向かう電車の中で読んで、僕は胸の内で快哉を叫んだ。

僕の目指していること、その為にやっていることは、あながち見当違いというわけでもなさそうだぞと思えた。

もうじき26歳になろうという男が、10歳に満たない子供に向けた文章を有難がっているようではお先なんぞは知れたものだが、それでも、今の僕とって、途轍もなく強力な後押しに感じられるのである。

 

僕は今、木曜日の夜の中華街に居る。

山口に住む姉が会社から貰った、横浜中華街にある宿泊施設の無料試泊券を二枚譲り受けたので、それを使いに来たのである。

二枚あったので、友人と分けて共に一泊二日の小旅行とする案も浮かんだが、三日後に開催される役者さんとの顔合わせに向けて芝居の脚本をある程度書き進めなければならないために、折角なら宿詰で執筆する良い機会だと思い、こうして一人で来たのである。

まずは何より芝居の脚本を書かなくてはいけないが、溜まっている宿題はそれだけではない。

シナリオの学校の課題も提出が遅れているのでやらなくてはいけないし、小説も書きたい。なおのことノートを取りながら本を読む時間も確保しなくてはならない。

今住んでいる家は、立地も居心地も良いが、僕が本を読んだり書いたりするのに合った環境とは言えない。

他の住人との生活のリズムが異なるため夜勤帰りに眠ってから2時間程度で起こされることもあるし、彼らと語り明せるような共通の話題もあまりない。正直あまり集中できる場所ではないのだ。

他人と暮らすということは、彼らの考え方、行動力、生活の知恵、オフモードの姿などを間近で見ることができ、面白かったり、大いに吸収すべき所もあり、有難いことに僕を励ましてくれるということもあるので、一概には言えない。が、、、

 

こうしてホテルの個室にいると、延々と文章を書き続けられる気がしてきたが、眠気が襲って来たのに伴い、徐々に文章の骨子がねじけ始めた事を気にしなくなって来ているので、ブログはここらで止めにしないと。

早く仕事に目処をつけて、中華商店で買った青島ビールを飲んで眠りたい。

 

今日のことは明日書くだろう。そろそろ脚本書きに戻ろう。明日は10時に一度チェックアウトして15時に再びこの部屋に戻るまでの間に、数年前まで横浜の山手に住んでおり今は荻窪に住む友人がかつて行きつけだったと勧める、馬車道にあるサモアールという店のオムライスとアイスティーを頼むつもりだ。

日々こうして行き当たりばったり適当に生きている。

福沢諭吉も、チャイナタウンに鎮座する関公も、僕の父母も、今の僕のこんなキリギリスみたいなスタイルを手放しに称賛してくれるはずはない。ないが、なんだか今の僕は独りっきりで、それでいてずいぶんと久しぶりにのびのびと息をしている気がするのである。

 

それではまた明日。