騙し騙し生活している。
誰かからの期待や援助があって、かろうじてこうして夜をやり過ごせている。
しかし同時に俺をここに引き止めているのも同じくその誰かたちだ。
全ての人間から見棄てられたい。そうすれば本当の意味で俺は自由になれる。
信用なんていらない。失うことを恐れて生きていたくない。人との関係性に縛られて生きていたくない。
逃げずに戦った先に何があるというのか?どうせ大山鳴動してネズミ一匹ならば、静かに心安らげていたい。
戦わなくちゃいけない理由がどこにあるというのか。みんな馬鹿ばっかりだ。どうして繋ぎ止めようとするのか。
ここを去って、どこなりへと去って、人の環から抜け出して、たまに訪れるくらいがいい。
金も信頼ももうこれ以上借りたくない。返すためには戦わなくちゃならない。
金も信頼も、他人が居なければ成立しないことばかり。読書なら直接その書いた人間と人間関係を構築せずとも面白い話が聞ける。しかしそれでも多かれ少なかれ金はついて回る。
選択肢を知りすぎることも考えものだ。俺は迷っている。
俺の世界から消え失せて欲しい人間もいるがまだ会いたい人もいる。勝利を分かち合いたい人もいる。それだけが俺をここに引き止めさせている。
帰属意識などどこにもない。俺は母星のないたった1人の宇宙人だ。
25年前のある日に女の股からこの宇宙へ放り出されたのだと聞かされただけのエイリアンだ。
馴染みのあるどんな場所へ行っても、懐かしさののちにこう考えだす。ここは俺のいる場所じゃない。
ただ、アリゾナの地平線まで続く道を80マイルで移動している車の中や、国道3号線をゆくバイクの上、山陰の山あいでぼうっと揺れる木々を眺めていたあの瞬間に帰りたいとだけ思う。
地球は好きだ。物質はとても愛おしい。人間の書く文章も大切にしている。しかし、地に満ちて生きる人間は何よりも恐ろしく、何よりも俺を悲しくさせる。
人間が設定した時間や価値が世界中に広がっていて、もっとこうしろああしろ、いつまでにこうしなくちゃいけない、嘘をつくなと、審査員たちは完璧なダンスを要求する。
サッカーファンたちは不完全なルールに憤りながらもあっけなくそれを忘れて次の週末を迎える。そしてまた次の週末、そして次のシーズン、次の次のシーズンと繰り返す。
オリンピックなんて誘致の時点から公正でもなんでもないし、その中身の競技の採点だって曖昧だ。
みんな適当にその場しのぎの楽しみをなるべく絶やさないようにしながら自分に都合のいい嘘はやり過ごして適当に生きている。奴らは楽しみを台なしにされるのを恐れていて、それを削がれるとものすごく怒る。しかしまた怒ったことを忘れる。
例えばAというバンドがこれまでとガラッと曲調を変えた新曲を出すとこういうやつが決まって現れる。こんなのAじゃない!戻ってきて!他人の変化を認めようとしない、現実を見つめようとしないお前自身はどうなんだ。目を開け。クソ忌々しい。
しかし、最早どうでもいいことだ。
俺はどこへ行けば。疲れてしまった。どこへ行けば!