宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

でたらめに書いた

うつろな目で何度目かの朝。歩道を歩く水溜りを避けて。いろんな人がいるよね、いろんな事があるよね。

というシンプルな歌詞に感傷的になる。

俺はもう疲れている。面倒臭さにやられて利かなくなった鼻、しがらみに絡めとられた足、金の無さに目の前が真っ暗になって何も見えやしない。

東京には様々な価値観を持つ人間が渦巻いていて、それぞれが、それぞれのやり方で生き延びている。画一的で旧時代的な水の残る地方とは海流が、環境が、ちとばかし異なっている。

この土地に満ち溢れ蠢く人間たちの波濤に揉まれ、ぶつかり、徐々に失われてゆく矜恃。

そこから逃れようと、端末を覗く。テレビを見る。そこには洗脳の呪文や人々の毒気がとぐろを巻いて俺みたいに疲れ切った人間たちを待ち構えている。

 

古くからの友人が贈ってくれたナンヨウスギ科の植木を眺める。時間を置いて葉の色なんかを観察すればするほど、そいつは生きているんだと分かってくる。そいつは天窓から注ぐ光を受けている。そいつは、何を訴えかけてくることもない。どこかへ歩いて去ってしまうこともない。何かをじっと見つめたり、笑うこともない。鼓動すら聞こえない静寂な生命。

 

ぐねっと捻り曲がったアローカリアの傍らにあるのは、大男の握りこぶし程ある巻き貝の殻。こいつは先のそれとは別の友人が僕にくれたいくつかの貝殻のうちの一等大きなやつだ。いつの時代にか宿主を失い、海から引き離されたそれは生命の抜け殻。これ以上大きくなることもはたまた腐ったり縮んでしまうこともないゴツゴツして硬く脆い無機質な塊。貝の死は人の死とは異なっている。俺たちの遺せるものなんて、たったひとつの貝にさえも遠く及ばない。たったひとつの貝殻は、そのたったひとつの生命が、積み重ね遺した等身大の真実。その揺るぎなき形だ。それに比べて、俺たちに遺された言葉や物語なんて、酷く嘘っぽくて都合勝手で場当たり的で盲信的で物悲しい。

 

明日は来ないかもしれない。地球がいまどうなっているかなんて本当のところよく知らない。事故や台風や地震や、体内で徐々に充満する死の腐臭。

誰かに何かを伝えたい、何か言葉を伝えたい、と言うわけではない。このブログは、俺から言葉を解き放つ為だけにある。

 

いろんな人に会った。いろんな人と共に生きている、いろんな人のことを忘れた。いろんな人のことを信じた。いろんな人に期待した。いろんな人からの期待を裏切った。いろんな人とすれ違った。いろんな人のことを笑った。いろんな人に恋をした。いろんな人に嫉妬した。いろんな人を無視した。いろんな人を利用した。いろんな人に利用された。いろんな人に依存した。いろんな事があった。突然殴った、何周も走った、途中でやめて諦めた、何度も寝た、数え切れないほど起きた、生物の死骸を食べた、虫を殺した、いろんな所で排泄した、自転車に乗った、事故をした、出鱈目を言った、おどけた、恥ずかしくなった、逆ギレした、欠伸をした、バレないように屁をこいた、歌った、困った、読んだ、想像した、思い返した、飲んだ、眩しさに目を細めた。

疲れた。下らねぇ。