宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

自分なりの苦闘

最近、なんとも言われぬ寂しさに襲われることがある。

しかしまぁ、誰とも会っていないわけではなく、仕事もあれば稽古もある。今週は、1年ぶりくらいにスタジオでギターとドラムに合わせてベースを弾いた。家に帰れば猫もいる。

充実していないでもない。

それでもなんだか気持ちが定まらずにどこか浮遊し続けている感がある。

これは一体どうしたことか。生きている実感が得られないのはどうしてなのか。

そもそも人生とはそんなもんなのだろうか。自分のレンズと世界との間にいつでも薄い皮膜がかかっていて、ピントの合わない気分のまま死んでゆくのだろうか。

夜虫に紛れてコンビニに入り、何を食いたいのか何が欲しいのかさえ自分でも分からないまま陳列されたパッケージの洪水をあっちこっち彷徨っている。そんな気分。レジスターの側に駆けつけた早とちりな店員がそわそわと待っていなければ、僕はいつまでも牛丼やらパスタやらをぼうっと眺め続けているかも知れない。

誰もが知っていることだが、コンビニの内装はどこも同じだ。10年経とうが基本的にどこも同じだ。観光地にある店舗の外装の色だけが多少変わっただけで驚いてしまうほど、コンビニ自体どこもあまり変わりがない。

まぁ、言ってしまえば人間の内臓もそんなにどれも変わりがないか。

しかし人の脳味噌の中にあると考えられているものはそれぞれ、てんでにバラバラだ。

面白いなぁ、と思う。そのバラバラさのせいで悲しみや腹立ちを覚えた経験も数知れずあるが、繋がる喜びも忘れはしない。

僕がこうも寂しいのは、僕がコンビニの内装的ではないからだ。

僕の書く台本もきっとそうだ。不安だが、寂しいが、鬱々とした何かに取り込まれそうだが、しかし、どこに行っても、誰と会っても変人だと言われ続けて来た僕なりに、生きて、新しい可能性に挑みたい。