宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

8月12日(前半)

前々から気になっていたニューヨークの写真家ソール・ライターの写真展が松濤のあたりで行われているので、ついでに周辺にある映画館の上映作品を調べ電車に乗って渋谷に行くことにした。

午前中は家でピンチョンの小説の続きを読み、気が済むと高校野球を観ながら支度を済ませて家を出た。

東西に延びる京王線に乗っかる前に駅前で腹ごしらえをしようと、飲食店を探す。

好きな中華屋はまだ盆休みなので、どうしようと考えながら路地をゆく。すると人気のない古い食堂があった。スナックのような店構え。かろうじて食堂であると分かる暖簾をくぐると、スナックのママみたいな店主らしきおばさんが客席に座って時間を潰していた。

(しまった、これは失敗かもしれないな)と思った。おばさんは、僕を見つけるとすぐさま立ち上がり、テレビを点け、さっきまで座っていたテーブル席に僕を座らせようとした。なんとなくそこには座らないで向かいに座っていると、「こっちの方が涼しいよ」と再び席替えを勧めてきた。僕は店内に張り付けられたメニューを見ながら手で顔を仰いでいたので断るにも示しがつかず、その言葉に従った。

その通り空調の風はよく当たったのだが、僕がもともと座っていた席の傍には、うつむいたままの扇風機があったので、おばさんが僕を動かしたがったのには何か別の意図があるのだろうかと訝しんだ。僕の横の壁には、中央大学のサッカー部が書いた古い寄せ書きを額に入れて飾ってあったのでそれが理由なのか、厨房が真っ直ぐに見える向きが好ましくないのか、この席がテレビと真向かいだからか。そんなところくらいしか思い浮かばなかったが。

メニューは意外とシンプルなもので様々な揚げ物がバリエーションのカレーか、親子丼のみ。僕はどちらかと言えば親子丼が好きだ。

注文すると、おばさんは「好きなものを見ていいよ」と僕の前のテーブル上に置かれたリモコンを指さした。壁に備え付けられたテレビ画面を見ると、NHKの衛星放送で「史上最大の作戦」が始まったところだった。白黒の海が映り、続いて軍艦が映り、極め付けには洋館の応接間をナチスの将校が闊歩しているのを見て、ノルマンディー作戦が描かれるのだと分かった。飯食う間だけでも映画が見られるのはありがたいなと思って、チャンネルは変えなかった。

そのまま輸送艦の中で賭け事に興じる連合軍兵士を見ていると「甘いもの好き?」とおばさん。「好きですよ」と答えるとすかさずおばさんが輪ゴムを巻いたタッパーを持ってそばまでやって来て、それからタッパーから素手でひとつずつ掴み取り、小皿に小さな鯛焼きを乗せてくれた。鯛焼きは小指くらいの大きさだ。小魚サイズの鯛焼きは、餡だけでなくチーズなども入っていて、福岡時代に好んで食べたむっちゃん饅頭を思い起こさせた。「いつも来るお客さんがたくさんくれたから」と言うおばさんに、「和菓子屋さんが来るんですか?」と聞くと、「和菓子屋さんじゃないんだけど、コロナでたくさん余っているみたいで」と返されて、僕には事情がよくわからなかった。それ以上の「?」を掘り下げる必要も感じられなかった。噛み合わない会話の応酬を想像で補填するのは実にリアルだ。

5尾くらいあったミニ鯛焼きをまたたく間にぱくつきながら、僕はまた映画に目を転じた。

カレーというフランスの都市に駐屯するナチスの将校が、ノルマンディー上陸を予測していたが上層部に相手にされないという一連のやりとりを見ていると「この頃は戦争映画ばかりね」とおばさんが声をかけてきた。「8月上旬ですもんねえ」と僕。「いつも映画を流してるの、映画なら2時間潰れるから」とおばさんは言った。その通りだ。僕もこれからわざわざ渋谷まで出かけて、無限に思える余命から、2時間ほどを潰しにゆくのだ。おばさんは60代か70代くらいだろう。終戦は75年前、最近テレビで戦争体験を語っている人々の多くは80代半ばの人だ。おばさんは恐らく戦争は体験していないだろうが、彼女の親はもちろん上の従兄弟や親戚などは何を見たのだろうか。そんなことを考えていると「チャンネル、好きに変えてもいいからね」と言われた。彼女はあまり戦争映画など見たくはないだろうなと思ったので、番組表を検分していると「徹子の部屋」に平野レミが出ていた。平野レミの亡夫は和田誠であり、僕の大好きなカートヴォネガットの装丁を手掛けている。見てみると、やはり和田誠について話をしていた。お盆だからだろうか。彼が幽霊で出てくるだろうかみたいな話をしていて、平野レミは、抱きしめても消えてしまって抱きしめられないと悔やんでいた。

やがて親子丼が出てきた。熱々で、出汁は甘くて、しょっぱい海苔がパリパリで美味しかった。これもまたすぐさま食べ終わると、揚げ直した貰い物のポテトフライとレギュラーサイズの鯛焼きもくれた。

食後にひと息少し涼みたかったので、時折おばさんと取り止めのない会話をしながらぼうっとしていたら、なんだかカレーも食べたくなった。親子丼は600円で、何も乗っかっていないカレーは500円だ。渋谷で昼飯とコーヒーを済ませたとすると1100円くらいするだろうと考えた。悪い癖だ。胃を食い物でパンパンに膨らませないと食事をした心地になれないのだから。今にぶくぶくと肥り始めるだろう。そう考ながら壁に掛かった中央大学サッカー部の寄せ書きを見た。いちばん目立つところに1年中村憲剛 MFと書いてある。彼は川崎フロンターレを代表する選手であり、日本代表でもプレーしていた痩せぎすでひょうきんな名選手だ。マーカーペンで書かれたその飾り気のない字は彼と同姓同名の学生によるものか、部員の誰かがふざけて有名選手の名前を騙って書いたように思えた。

バカっぽくて果てしのない食欲を抑え込むために、僕は一種の賭けに出ることにした。このサインがもし本物だったなら僕はカレーを注文しようと。おばさんに聞くよりもネットで調べた方が確実だろうと思ったので、中村憲剛と検索する。来歴を見ると、中央大学に特待生として入学していた。哲学的厳密さを以ってすればそのサインが本人のものであるかどうか真偽の断定には到底及ばないが、結局カレーは食べたかったので私は早々に審議を打ちやめ己に対して甘々の裁定を下した。

「カレー?食べるの?じゃあ温め直すね」とおばさんは言った。

平皿の上に小山となって出てきたそれは、ゴロゴロした柔らかい牛肉に優しいまろみのあるルゥが染みていた。

さすがに腹一杯となって、そろそろ渋谷に向かわねばと店を出ることにした。膨張した胃が他の臓腑を圧し潰しているような息苦しさを抱えながら、駅へと続く15メートルほどの道のりを歩いた。