宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

雑記

部屋を掃除して、生活は随分と透き通って感じられる。

以前は酷かった。帰宅し玄関の扉を開けば、満ち満ちた猫の糞と小便の匂いが真っ先に鼻腔に潜り込んでくるし、台所には生ゴミと青カビがこびりついた食器が散乱し、それを拠点にした大小の蠅たちが部屋中を飛び交っているのが当たり前だった。

猫は、毎日1匹は窓から入り込んで来るゴキブリを見つけてはなぶり殺しにし、トイレ砂で隠しきれなくなったクソの山を僕の脱ぎ散らかしたままのパンツやシャツをかき集めて隠すという荒んだ暮らしをしていた。

猫には申し訳がなかったが、その酷く不潔な日常の上にガスが止まろうが電気が止まろうが僕は平気だった。その程度で死にゃあせんというのが生活における向上心に欠ける僕のお気に入りの考えだったからだ。

それでも、プラスチック容器、缶、脱ぎっぱなしの下着やジャケットが床を覆い、徐々に我が身がその中に埋もれてゆくのは確かに不快だった。

物が見つからなくなり、悪臭に苦しみ、窓を開け続けるのも寒くなって来たというのに、僕はどうしていいのか分からなくなっていた。

誰かしらが来て片付けてくれるか、死んでしまうかしなければ状況の改善は図れないとまで思い詰めていた。

が、その苦境は案外あっけなく解決した。

数日後の夕刻に友人が訪ねてくるというので、「来たら部屋の掃除をしてくれ」と頼んでいたのだが、当日、友人が訪ねてくる何時間も前に山のような猫の排泄物も、台所にこびりついた虫の卵やカビも、最低2回は使いまわした下着類も、窓に張った蜘蛛の巣さえも姿を消し、果てにはトイレの芳香剤を設置するにまで至ったのである。

部屋がきれいになって、ノイズの少なくなった自室というものは、なんといっても過ごしやすい。ストレスが発生しにくい気がする。

人と遊び過ぎてしまって、創作に集中できないことを嘆いて、友人らの集まる杉並区を離れ日野市まで引っ越して来たものの、人が訪ねてくることのありがたみと言うか、他人への気遣いもまた大きなエネルギーの源たり得るのであると実感した、ここ最近のちょっとした話。

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