宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

吐露

週5でバイト、週2で稽古の日々が続いている。

こうも毎日家から外へ引っ張り出されていては、物を書くどころの話ではない。

しかし、書かなければ稽古で何もすることがない。

できれば演出の役割など誰かに任せてしまいたい。あまり人と関わりたくないのだ。

小舟の上では、一方だけを立たせれば片舷が沈み込んで浸水してしまう。その偏りや他人の心中に生じる不満を気にするならば、もっと大きな舟を作る必要があるのだが、今のぼくにはその余裕があるとは到底言い難い。

で、あるから、ぼくは舟造りだけに専念したいと思っている。現場に立って、舟漕ぎの組織作りや調練を統率しながら舟の設計をするのはぼくの器量では到底無理だ。ましてや2つのバイトを掛け持ちしている。

家に帰って気がつくと、電気も消さずシャツを着たまま布団で寝ていることが度々ある。生活に追われ、疲れ、苛立ち、誰と話しても心から分かり合えないもの悲しさに襲われ、不安になり、寂しくなり、コンビニ飯の質の悪い油が内臓に染みる不快さに耐え…。

劇団の誰かにこの窮状を訴えても、「追い込まれたほうがいいもの書けるんじゃない?」などと平気で返される。そうして、誰と話しても心から分かり合えないもの悲しさは止めどなくあふれ出る。

それでも、いいものを作りたい。芸事はなんにせよ自分の中でしか分からぬ美醜というものがある。第二次大戦を生き抜いた坂口安吾は以下のように書いている。

「一般の方々にとって、戦争は非常時である。ところが、芸道に於ては、常時に於てその魂は闘い、戦争と共にするものである(中略)芸道は、自らのもっと絶対の声によって、裁かれ、苦悩しているものだ。常時に戦争である芸道の人々が、一般世間の規矩と自ら別な世界にあることは、理解していたゞかねばならぬ。いわば、常時に於て、特攻隊の如くに生きつつあるものである。常時に於て、仕事には、魂とイノチが賭けられている。然し、好きこのんでの芸道であるから、指名された特攻隊の如く悲痛な面相ではなく、我々は平チャラに事もない顔をしているだけである」

結局、この道は孤独に歩まねばならないのだろう。ぼくごときがサルトルボーヴォワールのように、誰かと連れ立って歩むことを期待していては失望を重ねるばかりだ。

安吾にもボーヴォワールはいなかったが、道を競う多くの友人がいた。文士たちの時代であった。

坂口安吾を初めて読んでから、1ヶ月も経っていない。ぼくは先月、27歳を迎えたのだが、その前後、青空文庫安吾の『二十七歳』という作品を見つけた。文芸同人誌が世に溢れている時代の話だった。ぼくと出身地を同じくする私小説家の嘉村礒多や、有名な小林秀雄なんかと共に雑誌を作ったり、安吾と同じ仏語学校の生徒だった中原中也と酒場で知り合い飲み友達となるエピソードなど、彼の周囲には、実に多くの文人たちがいたことがわかる。

僕はどうだ。学歴や僕自身の知名度や実力が地を這うレベルだとはいえ、東京に来ても未だ文芸の道を競う友はいない。

中原中也の『作家と孤独』にはこうある。

「インテリがインテリであるためには、衣食住の先のこと、換言れば観念を必要とし、それに就て仕事をする場合にインテリなのである。昨今の如く、交際ばかりがうまくて、仕事はその交際のお景品のやうにしてゐるインテリが、インテリの中で比較的景気のよい方に属するといふが如き、そんな有様では、もともと冠履転倒である。私の云ひたいことは、今や、衣食住だけ足りれば好い人達の時勢だといふことである。平凡万能だといふことである。さうして、平凡万能の時勢が、表明するとしないとに関らず醸しだしてゐる空気といふものは、智的なものでも芸術的なものでもないといふことである。それをよいともわるいとも私は思はぬ。然し、そのやうな空気の中に元気でゐられるといふことは、インテリらしいインテリではないと云ふのである。そして、その空気が、インテリに適してゐるとゐないとに関らず、つまり、世間が観念を必要としようとしまいと、例へば芸術といふものは、観念に依存した事であるといふのである。恐らく、芸術家は、昔日よりも、一層の孤独を必要とするであらう」

きっと安吾と中也は、飲み屋で赤い顔をしながら、こういった実感や思索をぶつけ合っていたのであろうと思う。僕にもこうした友が欲しいと思うのは、甘えなのだろうか。

死んだ作家に何を問いかけても返事はない。いま、生きた作家はどこにいる?芸の道のさらに奥へと突き進んで行きさえすれば出会うことができるのだろうか?

そう思うこと自体、おこがましいことですか?