天気:覚えてないが雨は降っていなかったと思う。
朝、遅刻しそうだったので風呂に入らずバイトへ行った。2日か3日ほど風呂に入っていなかったので、身体と肌着との間からやんわりと体臭が流れ出した。
9時半前に職場に着くと既に作業が始まっていた。今日は大量に幼年誌の入荷があるので9時に出勤する必要があったと言われ、即座になんとも悔しくて堪らないという風な表情を作って「うえぇ〜」とか「まじかぁぁすみませぇ〜ん」とか言った。
決め事に従って早く来た人たちに普段より負担の多い作業を30分間させてしまったことへの若干の申し訳なさから、いつもの雑誌の開封作業を手早く行った。
その時に、いつも僕は常時気ままに考え事をしているので手元の作業が遅いのだなと気がついた。
はた目から見ると随分のらりくらりに見えるのだろう。脳内では有象無象の思考たちがスクランブル交差点のように蠢いているので、この発見には驚きがあった。
手元もそれなりの巡航速度で動いているのだろうとばかり思っていたのだ。
手早く雑誌開封をし終えて遅刻の遅れを取り戻そうという目的を持ったパフォーマンス兼作業ロボットに自分を仕立て上げたことで、普段の自分について少し知ることができた。
僕がいろんな仕事をしてきて、どこでもさして評価されないどころか、辞めても惜しまれないのは、僕は考え事が好きすぎて歯車として不適合であるという性質に一因があるのだろう。考え事ができない仕事は好きでない。自由じゃない仕事はできることならしたくない。
今日は12月1日ということで手帳や日記や家計簿がよく売れた。レジを打っていると、僕の好きな感じのおっさんが使い古した黒い手帳を持ってやってきた。
「これと同じのないかなあ」
「あー、売り場になければないですね。お取り寄せも承れますけど。」
「いや〜、今日1日だから今買えないとなあ」
「そっかそうですよねえ」
おっさんは結局類似品を買っていった。
そして、ああ、僕も高橋書店のデカめの日記帳でも買って、今日から書こうかなという気になった。それで、レジから解放されるや否やだらだら売り場をほっつき歩いて手帳コーナーに行った。
文机の引き出しにちょうどいいサイズで、月間スケジュールを書き込める欄もあって、日記もそれなりの分量書き込める日記帳を見つけた。買おうと思ったが、来年の1月始まりだった。
見ると、手帳は12月始まりのものもあったが、日記帳はなかった。
うーむ、1月まではブログに書くか。と思って今書いているのだが、せいぜい1日につき8行くらいの日記帳と、この無限に改行を重ねられブログとでは全く意味合いが異なる。
ブログは、どうでもいいことをべらべらと狂人か子供のように饒舌になって喋りまくるような感じでものを書ける。半匿名性をいいことに、他人に見せるといえども、書いたことを見直すこともあまりない。
その点、日記帳は制限の元に端的に書くこと必要がある。そして自分以外誰が見るでもない。
日記帳に日記をつけるという考えを気に入ったのも、端的で簡潔さを心がけてよく考えながら物事を書き記す経験を積みたかったからだ。
ではどうしよう。ネットで日記帳のフォーマットを拾ってきて印刷してしまうというのも一つの案だ。
でもまあ、ここに書き散らすのもまたかけがえの無いストレス解消の術であり、これはこれで好きなので、日記帳とブログは主従の関係というよりは各個に独立したものとして扱うのが吉だろうか。
さて、今日の出来事について話を戻す。
勤務時間をほっつき歩いたり座ったりこっそり立ち読みしたりして潰し、駅前の茶屋で煎茶と抹茶と麦茶を買い、肉屋で豚バラ肉を、そして食品店で出汁を買い家に帰った。買ったもの全てが入った袋をそのまま冷蔵庫に放り込み、アプリでNHKの文学講座を聞きながら布団の上にしばらく座っていた。
そしてまあ念願だった風呂に入り、腐りかけの野菜と買ってきた肉を鍋に入れて出汁で煮た。米を炊いて炊き上がるまでの暇つぶしでこれを書いて今。
米は書いている途中で炊き上がった。腹が減って書くのはもうやめだ。
飯を食いながらラジオアプリで文学講座か朗読でも聞くだろう。
明日も9時出勤ということは万に一つもないだろうが、台本書いて寝る前に明日の出勤時間を確認しておこう。