宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

不退転不可逆。not redo

演劇の公演が終わってから、既に5日経った。公演日の翌日だけ休みを取り、それから後は働いている。公演最終日の片付け中に次は6月あたりに公演を打ちたいがどうかと尋ねられた。その場では咄嗟に、演出はしないが書くだけならやると飛びついた。しかし翌日、一転して脚本も演出もしないと断った。

もはや生配信だけの芝居なんぞやりたくもないし、人付き合いが面倒な上に膨大な時間を取られる演出という仕事はしたくないが、周囲で手の空いている人の内に演出を任せられる人がいない。そして僕はあくまで小説を書きに東京へ来たという根源へと立ちかえらなければいけないと感じたからだ。他にもやらない理由は溢れ返って山となるほどある。望んでいないことはやらない。

しかし時間はない。なぜならこの世はやり直しなどできないからだ。6月の公演の脚本と演出の椅子を別の者に譲るという選択は後にどう転ぶかわからないが、そうすることを望み、選び取ったからにはそこに全力を注ぐほかないのだ。

やらないことを選んだのなら、何に全力を注ぐのか。もちろん小説を書くことにだ。そのために必要なことを学び、ひたすらに試す。演劇の公演が終わってから既に5日経った。次作に関わらないと決めてから、既に4日経った。これを書いているうちに更に日付が進んだ。

過ぎた日はやり直せないのに、読んだ本の内容は片っぱしから忘れてしまう。読み直す毎に初めて読んだかのように新鮮な数行を見つけ馬鹿みたいに驚きを味わい、最後まで辿り切ったはずの筋に再び迷い込む。それを書物の奥深さや面白さと片付けるのはどうも甘すぎる気がする。自分は本当に本を読む能力が備わっているのか不安になる。さてはちっとも蓄積となっていないのではなかろうかと懐疑の念に苦しめられる。

懐疑。そう懐疑。僕は人を勘繰ってばかりいる。ちっともロクな奴じゃない。口を開けば恨み言ばかりだ。僕のことを好ましいと感じる人が一体どれだけいることだろう。いつからこんなに拗ねたやつになっちゃったんだろう。人の良い所を探そうなどとこれっぽっちも思っちゃいない。だめなやつだ。

僕は人との関わりを絶っちまいたい。そうすれば、如何に僕が嫌なやつだろうとそんなこと文字通り関係がなくなる。ともすれば僕自身苦しまなくても良くなるのではないか。いまだにそう考えている。現に今でも自分からは他人と関わるまい関わるまいと思っている。演出なんてしたくないという感情も主にここから来ている。誰かを怒らせ、失望され、泣かせ、傷つける。知らねえや。面倒臭い。

慌てふためく自分が嫌いだ。しょうもない保身に走る自分が醜い。欲をかく自分が恥ずかしい。不機嫌な自分は後からどうにも情けなくなる。もっと毅然としていたい。処刑台の上に引き据えられた武人のように己の業を一身に引き受けた態度を保って日常の全ての時を過ごしたいものだ。