宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

人は自分勝手に星をつなぐ

取り寄せたフランス語学校の資料を見ていた。今はちょうど冬学期の終わりの時期だそうで、入学は4月からになりそうである。

前回の公演で金も無くなっていたことだし、ちょうどいいとでも思うべきだろうか。

さて、このところ週5日で働いていて日常の穏やかさというか、少しずつリズムが生まれてきた。このうちに金が貯まるといいのだが。

本屋を辞め、稽古場への往復も無くなったことで、かなり時間の余裕ができた。テレビは押入れの中にあるので、家ではもっぱら映画と本とラジオに浸かって過ごしている。

家では1日大体2本の映画を見て、職場への往復と休憩時間は読書タイムだ。今はヴォネガットの『プレイヤー・ピアノ』を読んでいる。ビートルズが結成される5年も前の1952年に書き上げられたとは到底思えないような内容で、第二次産業革命で事務仕事などの頭脳労働が人よりも正確で経済的な機械に奪われたあとの世の中で第三次産業革命が起ころうとすると言う話。あいや、おっそろしい。

 

そんなこんなで比較的穏やかに日々を過ごしている中でもひどいノイローゼに陥ることは度々ある。僕の行うどんな気晴らしにも人間がいる。

わかりきった事だが、映画は人間が画面いっぱいに映し出されてあぱぱーと喋ったり車を運転したり食事しながら喧嘩している様子を演じているし、小説もある人間が書き言葉を駆使して人間のことを物語るし、音楽だって人間が作ったメロディーで演奏され人の作った詞を歌う。ラジオだって人間が一方的に喋り続けているのを聞くだけだ。写真だって人間が撮ったものだし、ネットの掲示板も話題を餌に人間同士バカにしあったり虚勢を張ったりしている場だ。ポルノだって結局人間だし絵画だって結局人間のものだ。道具も服だって顔知らぬ他者の影がチラつく。登山やツーリングは人間から逃れる術のようにも思えるが、結局人間から逃れ切ることはできない。

最近そのことが気になるようになってちょっとだけ気持ち悪さを感じた。

この感覚がもし僕だけのものでないのなら、これから先、人が他人の存在に我慢ならなくなってしまう時代が来るだろう。

でも幸い、僕はあまり褒められた意味ではないような逸脱をしてしまっている感性の持ち主のようだから、そんなことにはならないだろうが。