宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

頭でっかち

 4月19日。月曜日。

  天気は晴れ。初夏を思わせる暖かさ。梅雨は近い。昨日はダラダラと働きながら苦言めいたことをSさんに言ってしまったので、SさんからF氏に話が伝わっていたのだろう。朝のうちに、今日の出勤を1時間遅らせてもよいというメッセージが来ていた。ありがたい提案だったし、もちろん勧められるがままに遅く出たが、駄々をこねてさんざん両親を困らせた挙句に高価なものを買ってもらった子供のような後味の悪さに我ながら閉口した。とにかく、突如与えられた出勤までの猶予時間は読書や自炊をした。読んでいるのは、シカゴのある区画の黒人コミュニティが形成する地下経済の実態を南アジア系の研究者がフィールドワークで調査した2007年くらいの本だ。並行して、情報社会におけるコミュニティの機能についてのジグムンド・バウマンによる論文集を読んでいて、偶然だがこの2冊の相性の良いことに驚いている。後者では、コミュニティはその構成員に安全を与え自由を奪い、そこからの離脱は自由を得て安全(安心)を失うという構図が繰り返し紹介され、前者では、ある地域コミュニティ内に住む事業者が、コミュニティを出て別のエリアで商売を始めたり拠点を移転しようとする店主や事業者を「水槽から出た魚」のようになると例えて警告する発言を例に挙げて考察が始められたりしている。社会学から学べることは実に多い。今はなるべく現代の本を読んでみようと思っている。

  昼に売り場に着いた。F氏は接客の合間に、しばらく前から企画の進まないでいた小説集の装丁のサンプルを何例か見せてくださった。企画が進まないのはただ、僕が何も書いていないからである。中身がない。笑い話だ。

  僕の心中で絶えずうごめき続ける憤懣の念は結局、己自身の出鱈目さに起因している。要するに、馬鹿なのだ。努力もせぬ馬鹿に小説なんて書けるわけがない。ここで作家の夢を諦めてしまわないのならば、とにかく第1集はこれまで書き散らしてきた散文やら戯曲やらを引っ張り出して若干手を加えて色をつけて…どんなにクソでもとにかく現実に出してみるほかないのだろう。

  F氏にあやされるように激励されたり極端な自棄をなだめられたりしながらかれこれ20時過ぎまで働いた。ここまで書いて思ったが、職場での出来事の細部をブログに書くのはよしておこう。小ネタ程度に書けるようなエピソードは毎日いくつか起こるのだが、昔気質の百貨店ともなると、あらぬ言いがかりをつけられて訴えられないとも限らない。まあ、もし訴訟になれば中ネタくらいにはなるかもしれない。