宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

 4月20日。火曜日。

 晴れ。そして暑かった。駅の階段で僕の前を降るサラリーマンの頭皮が湿って濡れていた。

 昼前にYの家を出て水道橋駅を経由して駿河台へ向かった。ここには面接のために何度か福岡から通い、最後の最後で落とされた某局がある。残念ながらその敷地内に入る用は一切無くなってしまったが、駿河台から御茶の水、そして神保町の一帯は東京内でもお気に入りのエリアの一つだ。この辺りで大学生活を送りたかったといつも悔やんでいる。だが、今日から僕も駿河台の語学学校に通う学生になった。もっとも、学生というのは9割くらい嘘で、週に一度のフランス語講座を受講し始めただけなのだが。

 この学校のことは、昨年、僕が27歳の誕生日にたまたま読んだ坂口安吾のエッセイで知った。ちょっと気になって調べてみたら今もなお現存していたので、これも何かの縁なのだと通ってみる気になったのだ。ちなみに彼と中原中也とは同じ時期にこの学校に通っていた縁があって2人は友達になっている。彼らの世代の名だたる小説家たちはみな尽くとまでは言わないが、語学系のエリート学生グループ出身が多く、太宰治をはじめとしてフランス語の専攻が特に目立つ。英語やドイツ語、漢語畑ももちろんいるが、僕は太宰も中也もスタンダールびいきの織田作之助も好きだし、小説家になりたいと思う前からサルトルセリーヌカミュの翻訳小説が好きだったから、フランス語とその思考や、原文での文体を学び取れれば、彼らに数ミリでもにじり寄ることができるだろうと思ったのだ。まあ今の僕がやっているのはABCの読み方からで、道はまだまだ長い。だが確かに歩み始めた。

 僕に足りないのは基礎だ。いい歳こいて学習の基礎もないくせに、ひらめきとちょっとした余暇さえあれば、半ば堕落した生活を送りながらでも一握りの限られた席にひょいと座ってふんぞり返ることができると思っている、よく居るタイプの大馬鹿者だ。必要以上に萎縮したくもないのだが、取らぬ狸の皮算用にばかりいそしんで、世の中を舐めていてはいけない。あとは英語と数学だ。パラニュークはいつまで経っても翻訳されないし、パソスやエリスンの文体も肌に触れておきたい。これもまた生半可な努力では無理だ。数学も冗談ではなく反比例までで止まっている。できれば幾何まで進んでから死にたい。

 その後、原宿まで行って楽天モバイルの端末を修理しに行った。数ミリのヒビで画面が点かなくなっていたのだが見積もりでは修理に2万円もかかると言われたので、simを中古の端末に差し替えた方が良さそうだ。全く、馬鹿にされた気分だ。ついでにその近くで働いているMに差し入れを持っていったが、不在だった。2人いた店員のうち近くにいた方に素性を簡単に説明して預かってもらった。

 家に帰り、ベタつく肌もそのままに日記を書いているのだが、そろそろシャワーを浴びたい。風呂場でフランス語の自己紹介を声に出して練習しよう。