宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めている

 4月28日。水曜日。

 重要なことを見失っていた。自分のために書くのだ。

 今日は休みだったのでいろいろ降り積もった面倒なタスクをいくつかこなし、延び延びになってしまっている自作の小説集第一弾の原稿に手をつけることにした。どうにも上手くいかない。どうしてなのか分からない。経験の薄っぺらさからなのか、単に無能がゆえなのか。生きているのがどうにもバカらしくなった。世の中にはほんとうに下らない作品なんてごまんとある。作者の顔に唾棄したくなるほどに薄っぺらく、伝染病よりタチの悪い流行り物より絶対に良いものを書けると思っている。そのくせ僕は小説を何一つ書けやしないのだ。なぜだ。この浮ついた自惚れこそが理由なのか?いや違う筈だ。反対に自分をできる限り低く見積もってみたところでスラスラと小説が書けるはずがない。むしろその自己蔑視にこそ問題があるのかもしれない。子供の頃、己の醜さに気づかないでいられた頃には、物語ることなんて簡単だった。SFだろうが歴史物だろうが私小説だろうがなんでもござれで、空想から空想へと果てしなく飛び回っていたのだ。ポール・オースターの小説を思い出した。ウォルト・ザ・ワンダーボーイはじめ空を飛べる奇跡の子供は思春期になると飛べなくなる。

 自分は無能ではない。かといって書きもしないのに作家ではない。このままうずうず苦しんでいれば、やがて状況は変わるのだろうか?変わるのだろう。歩んでさえいれば。ホドロフスキー夏目漱石は登山になぞらえているじゃないか。登るべき山に取りついたのならば後はただ歩けば良いのだ。僕は1人で山に登ったことがない。誰かに誘われ、その誰かの計画のままに付き従って登ったことしかなかった。見つけた。ここだ。ここに僕が小説を書けない理由がある。小説を書くということは、自分で登りたい山を決め、自分の力量に見合ったプランを立て、あらゆる準備を自分でやり、1人で黙ってせっせと登ってしまうことと同じなのだ。

 バイクを直したら実際に山に登ろう。小学生の頃に新田次郎の小説を読んで熱狂していた武田信玄ゆかりの山や史跡を訪れる旅を兼ねることにすれば、しばらく山選びには困らない。山梨寄りの東京に住んでいるのになぜ思いつかなかったのか。楽しみになってきた。その前に小説集だ。まずはほんの小山でいい。ちょっくら登って帰ってこよう。