宇宙をぶらぶら漂流中

時松功平です

読み散らかしてる

ただ生きているだけだと、死にたくなるのはなぜだろう。

庭に生えている花だってただ水を吸って日光を受けてぼさっと風に揺られているだけなのに、なぜか僕より充実してる。

暗い気持ちで玄関から出ると外は晴れていて、蝶が花の周囲をまとわりついていたりなんかすると、昔のディズニーの気持ち悪いアニメーションみたいに植物どもがのびのび歌っているように見えてくる。

花なんて嫌いだ。あんなのおっぴろげた股だ。色とりどりの花びらだって派手なパンツと変わりゃしねえ。

そんなことはどうでもいい。

地元では誰とも会うことがない。バイトは申し訳程度に塾の講師を始めた。といっても月給で言えば4万円も稼いじゃいない。相変わらず自分は資本主義のゴミのままだ。

最近は暇さえあれば図書館へ行く。ロカンタンを気取ってノートやら本やらを机の上に散らかすためだ。読みたい本は借りて家に本を持って帰るなんてことはしない。家に持って帰れば読まなくなるからだ。家に買った本で読んでいないものがたくさんある。いま図書館で読んでいるのは『アデン・アラビア』と『神曲』だ。共通しているのは強烈なまでの怒りの感情。全部読んでいないけれど、20の著者がフランスのエリートコースから脱出し、南イエメンのヨーロッパ人コミューンに滞在し、やがてフランスに戻る旅をテーマにした話(パンフレ)と、30代男性が森で迷っていたら地獄めぐりツアーに出ることになって地獄煉獄を抜けて天国を訪れる話。正直持って帰って家で読みたい。家に持って帰れば読まなくなるというのはただの建前で、本当はごにょごにょごにょ。図書館はいい。読書に飽きてちょっと目を転じると奇兵隊の日記があって、ぱらぱらめくって脱走者の人相書きを眺めたりできるし、座り疲れたらセリーヌの全集がある棚まで散歩したりできる。こんな感じで読み散らかしている。

家で読んでいるのは『死よりも悪い運命』と『死をポケットに入れて』だ。前者はもうじき読み終わる。さっきもこれを読み終えてしまうかブログを書くか悩んだのだが、アウトプットもやっておかねばと、後回しにした。

kindleも使える。脚注はひと押しで表示されるし、傍線やメモも簡単に打ち込めて汚くなることはない。読書時間を計測していますと表示されるのは、没頭を邪魔されて腹が立つが。kindleでは角川文庫から出ている新訳のマクベスを読んでいる。脚注で結末をネタバレするのはどうかと思う。新訳で読みやすいからこっちは感情移入しつつ読んでいるのに、馬鹿野郎。

眠たいのでいろいろ端折る。

『アデンアラビア』のヨーロッパ批判の箇所で、ヨーロッパは東洋から伸びた芽に過ぎないと書いてあって(当時は『西洋の没落』とかありましたしな)、西洋思想にまみれて悲観的になっている自分は、昔熱中していた中国の思想にすがりたくなった。読みたいのは『貞観政要』、『史記』などなど。なぜぼくが東洋思想に走らなかったかと言えば、東洋思想版のマイケルサンデル的な案内役に出会えなかったからというのと、就活で役に立たなかったからだ。西洋思想寄りの脳みそになってしまった今、サリンジャーやP.K.ディックに倣って鈴木大拙に案内を依頼することにしようか?でもサリンジャーもディックも救われたような様子は見受けられないが、どうだろうか。

そんな潜在意識に導かれたのかどうかわからないが、弓道教室に通ってみることにした。週二回。